2007年3月25日9:41であった。

能登半島沖の深さ11kmでマグニチュード6.9の地震が発生した。忘れもしない日曜日で遅めの朝食をとっていた時である。


ドン!と下に1回落ちて大きな横揺れが始まった。
冗談ではなく目の前を電子レンジが飛んで行った。この時は流石に怖かった。

揺れはしばらく続いたがようやく収まったはいいが、その後の余震に悩まされた。

まずは工場に直行したが、凄い惨状ではあったが、機械類及び設備には見た目そんなに大きな障害が無いように思えた。
急いで本社に急行したが、事務所、倉庫あらゆるところが惨憺たる状況であった。車で5分なのにこれだけ違うものかと背筋が寒くなった。

地震発生後から電話攻勢が始まった。


全国各地から私を心配して携帯が鳴りやむ暇がない。10時から19時まで鳴りっぱなしである。皆さんが私を心配してくれているのが携帯から伝わってくる。
お一人当たり5分から長くて10分。はっきりとは覚えていないが70人から80人ぐらいだと思われる。
相手は1回だが私は80回である。一度考えてみて欲しい。殆どが同じ質問をしてくる。それに対して同じ答えを80回答えるのである。
でも相手は私がどのような状態かというよりただただ心配をして下さっているのである。だから私も真摯にお答えを繰り返すしかない。

ほとんど何もできない1日であった。こんな中、素晴らしい対応を見せて下さった方がおいでる。

海抜7m