それからも先生とのお付き合いが続いた。年に2回はコンサートへのご招待状を戴いた。

久しぶりに日記を見ているが、本当にまめに書いているなとつくづく自分に感心する。

平成12年3月18日に先生からお電話を戴いた。「4月16日に喜寿記念コンサートをするので奥さんと2人で出ておいで」とのお誘いを戴いた。


お話によると天皇皇后両陛下もご臨席されるので、一緒にバルコニーの一番奥に席を取ったからとの事、
何とも素晴らしいお招きを戴いたのだが、私の返答はこうであった

「先生ありがとうございます。でも両親を出席させて頂ければ嬉しいのですが、宜しいでしょうか?」
即答でご了解を戴いた。
今でもその時の写真が亡くなった母の机の上に飾られている。

B5サイズぐらいに引き伸ばされた薄暗い写真だが、先頭に両陛下の後ろに20人ぐらいが座っており、両親が最後列に。何とか本人と分かるくらいの写真だが、本当に親孝行になったなと今でも嬉しく思う。

両陛下がお帰りになる際、バルコニーに座っていた方々とご一緒に、両親と一緒に両陛下にお会いできる許可の緑のリボンを付けて、ちょうど真ん中くらいで並んでいるところへ、先生の奥様がお一人お一人をご紹介しながら進んでこられた。
そして私たちの前で「赤さんご夫妻とご子息です」とご紹介を戴いたときに両陛下がオーラで包まれておいでるのが見えた。

ふと思い出すことがある。

あの時、先生の奥様に桐の箱に入れ、紫の縮緬の風呂敷に包んでお預けしたチュロスがどうなったのか?今でも結末が分からない。チュロス最大のミステリーである。

皇居